10万円おじさん

算数の授業のときのこと。

少し前、担当の先生の都合で、代講に入った時がありました。

ちょうどそのときは「売買損益算」という題材

(「ある店が、原価300円で仕入れたケーキを3日間売ることにしました。1日目は、ケーキを70個仕入れ、原価の2割5分の利益を見込んで定価をつけて売ったところ完売しました。1日目の利益は何円ですか。ただし、消費税は考えないものとします」(同志社香里中2018年)というようなもの)

を扱ったときで、本当に必要な分野だと思っているし、社会に出ても役立つと思っている大好きな分野なので、ワクワクしていました。

まずは前の週に習った「原価」「利益」「定価」などの言葉から復習し、実際の値段や例題などを見ながら図を描き、考え方を確認をしていきました。

そして、中学受験の問題などでは出ませんが、

飲食店の原価率はどれくらい、人件費は大体売り上げの何%ぐらいが適正と言われているということや、

商品の定価には、人件費や家賃、光熱費や、いろんな固定費や変動費が含まれているんだよ、みんなが買っているこういう商品は大体原価はこれくらいだけど、そこにいろんな費用が乗っているから定価として表示されているような金額になっているんだよ、というようなリアルな話をしました(笑)

経営や会計の勉強のようですが、こういう話って、リアルなので、子どもたちもすごく興味を持って考えてくれるんですよね。

そのあと、もしみんなならこの考え方を使ってどうする? という話をすると、

「このペンを5万円で売る! そしたら、利益4万9900円ぐらい!」

など、いろんなおもしろい、ふざけた? ようなアイデアが。

「そんなん買うわけないやん!」

など、いろんな話が出て、

おもしろいな〜と思ったので、

「じゃあさ、この紙(教室にあったもの)を10万円でって言ったら買う?」

と質問すると、4年生の女の子から、

「そんなん買うわけないやん〜」

という答えが。

ふふふ。

「じゃあさ、もし、この紙に、〇〇ちゃんの好きなNiziUのメンバーの子が、◯◯ちゃんへ、これからも勉強がんばってね!って書いてくれるとしたら?」

「買う!」

即答でした(笑)

「そうだよね。お金って原価や費用からできる価格もあるけど、価値って側面もあって、例えば、さっきの話だと、そこには、NiziUのメンバーの今までの努力とか、ドラマ性とか、いろんなものがあるけど、価値があれば、価格って上がるんだよね」

というような話をしました。

「売買損益算」という分野自体は、入試に出るか出ないかだけで考えることもあるかもしれないけど、算数は、世の中に出て役立つものに溢れています。

以前、尊敬する経営者の方に、

「経営って、算数みたいなもので、足す、引く、掛ける、割るができたらいけるものなんだよ」

と言われて、「そんなはずは……」と思ったのですが、今では、本当にそうだなと感じることも多いです。

2014 年の Lisa K. Fazio らの研究によって、数字の大小をイメージできたり、どっちが多いか少ないか、大きいか小さいか、がわかることと算数(数学)の成績に関係があるということがわかりました。

算数(数学)の得意な子は、数の大小をイメージできたり、計算を見た目で解くことができるのですね。

たとえば、2 つの分数を見たときにどっちが大きいのか、床に散らばったボールやおはじきを見たときにどの色がいちばん多いのか、などが何となくわかるというのもそう。

いろんな生きた数字、具体的な数や考え方に触れて、算数っておもしろいな、考えるっておもしろいな、もっといろんなことを知りたいなと思ってもらえたらなと思います。

これからも、みんなが、おもしろく、生きた学びに出合えますように。

(いろんな計算のやり方や数字の組み合わせを覚えていこう〜)

苦い思い出

A long time ago in a galaxy far, far away ….

遠い昔、遥かかなたの銀河系でのこと。

ではなく、

それほと遠くないとは思いたいけど数えてみたら20年ほど前だった兵庫県でのこと。

当時、大学生だった僕は気になっている女の子と2人で神戸のメリケンパークに行きました。

そう、デートです。

まだうら若き青年は、緊張しながら少し背伸びをし、

普段は入らないような、夜はお酒を出すような大人な感じのカフェに入り休むことにしました。

そこには、普段行くようなお店に書いてあるコーヒーやカフェオレなどではなく、見慣れない「エスプレッソ」「カフェマキアート」「アフォガード」のような文字が。

その当時はまだ、「エスプレッソ」という飲み物は日本に来たばかりでまだ今ほど一般化していなかったので(というのはうそですが)、何が何だかわからない状態でした。

(何なのだ、これらの飲み物は……)

異世界に突如ワープしたようです。

しかし、そこはカッコをつけなくてはいけません。

レジの上に並んだおしゃれな単語の数々を眺めながら、

「うーん、僕はエスプレッソにしとこうかな」

そう、何が何だかわからないけどコーヒーのことをわかっている感が出そうな響き、

ジェントルマンが頼みそうな響き、

海辺で素敵な女性といっしょにいる男性が発声しそうな響きの「エスプレッソ」という謎の飲み物を頼んだのです。

うん、値段もコーヒーっぽいし。

すると、見たこともない小さなカップが。

(ち、ちっちゃ……!!)

普段飲むような、コーンスープなどを入れることもありそうなカップではない、あまりの小さいカップに、

(これは少食のひと用……?? それとも、試飲用……??)

と戸惑いつつ、知った感じで口をつけます。

(こ、濃い……)

あまりの濃さにシワを寄せ、5歳は老けました。祝・大学卒業。

「エスプレッソ」

その通っぽい響きで頼んだはいいものの、

あまりのカップの小ささに損した感じがし、

あまりの濃さにカップは小さいのに飲み干すのが大変ということになってしまいました。

ああ、若い……。

今となっては笑い話ですが、

こういう、知らないことを知らないって言えなかったことで困ったことになることってよくあります。

勉強でわからないときにわからないって言えないこと。

できなかったのにできなかったって言えないこと。

ちょっと理解があやしいからもう一度説明してほしいときに説明してほしいって言えないこと。

テストや問題を解いたとき、

「ケアレスミスした〜」

という子に、

「それって本当にケアレスミス?」

と聞くことがあります。

「careless」

注意が足りなかったということだったら、

どこをどう間違って、こうすればよかったと説明ができるはず。

説明できないってことは、不注意なミスではなく、わかっていないということなのですよね。

知らないことを知らないということは恥ずかしいことじゃないし、

できないことをできないと認めることは成長の一歩です。

昔、誰かが、

「人は長所で尊敬され、短所で愛される」

と言っていましたが、

尖った部分はどんどん磨いていったらいいし、

へこんだ部分は他の人に助けてもらったらいい。

できないことはダメなことじゃないし、

できないことをできないと認めることができるようになる一歩。

知らないことを知らない。

できないことをできない。

わからないことをわからない。

と言うことで、誰かの助けを借りるきっかけになったり、誰かが自分を助けられるきっかけになるかもしれません。

大昔、僕が知ったかぶりせずに、「エスプレッソって何ですか?」と聞けば、

もっと飲みやすいカフェラテやカプチーノなどをおすすめしてもらえたかもしれないように。

勉強って自分でやらなくてはいけない部分も多いけど、誰かの力を借りることで近道できることも多いです。

いろんな人の協力を受けながら、どんどん力を伸ばしていってもらえたらなと思います。

(キンダークラスの子どもたち。いつも笑顔で元気です^ ^)

ため息でばれる

こんにちは。

新留です。

つい昨日の話。

大学生の時に働いていた個別指導塾でいっしょだった友人から「相談したいことがある」ということでzoomで話をしました。

僕が個別指導塾にいるときによくご飯を食べに行ったり、僕が個別指導をやめて集団塾に移った後もご飯に行ったりしつつ僕のあとの教務リーダーという役割をしてくれたり、

それから数十年たった今も関係が続いていて、大事な結婚式でスピーチを頼んでくれたりと、

東京で働いていたというのもあり、卒業後はそれほど頻繁に会うことはなかったけれど、帰省時や節目のときには連絡をくれる友達です。

現在、彼は奥さんの仕事の関係で海外に住んでいるのですが、子どもの学校を2つのうちどちらにするかで迷っていて相談したいということでした。

ちょうど彼の子どもの年齢の時期に伸びる力や、やり方で大切なことを話しつつ、

彼の家族が描いているビジョン、2つの学校の特徴を聞いたり、まわりからの口コミ、見学をしにいった際のやり方を聞いていると、

「あ〜こっちだな」

というのがありました。

片方の学校の様子を聞いていると、おそらく、そっちの学校だと、親的にはカリキュラムがわかりやすく設定されていたりと、不安を感じることが少なくなるかもしれないけれど、子どものマインドセットには良くない影響があるなと感じたのでした。

でも、主観的になってはいけないので、それぞれの学校のメリット、デメリット、

こっちにいくとこんな風になるだろうし、こっちにいくとこんな風になる可能性が高いですね〜なんて話をしていました。

そのことを伝えると、彼自身も、ちょうど前日、授業の見学に行った時、最初は優勢だった方から、こっちではないと感じていたことがあったらしく、

「やっぱりそうなのですね!」

と納得しているようでした。

というのは、ちょうど前日、教室での授業の様子を見学に行った時、9+4のたし算などをしていたらしいのですが、何度やってもできない子がいて、その際、先生が「は〜〜〜っ」というようなジェスチャーをしているのが見えたのだそう。

これって、先生のちょっとした反応なのですが、子どもには大きな影響を与えかねないのです。

そして、そのちょっとした行動で、先生自身がどういうマインドセットであるかがわかってしまったりするのですね。

マインドセットは子どもの幸福感や成長速度を決めるのですが、

先生やまわりの大人のマインドセットは子どものマインドセットに大きく影響を与えます。

先生やまわりの大人のマインドセットが子どもに及ぼす影響って決して小さくないのですね。

その先生は、

「できないことはダメなことだ」

というマインドセットであり、

子どもができるか、できないか、という視点で見ているのですね。

子どもがどうやったらいいか考えているのを、

「できるようにがんばっている」というプロセスではなく、「できない」という結果で見ているのです。

「できるか、できないか」

もし、まわりの大人がそういう視点でものを見ていると、子どもは「できないことはダメなことだ」と思い込むようになり、考えること、手を動かすことが減っていきます。

できない状態になること、×がつくことを嫌がるよう、怖れるようになり、

「できることしかやらない」

「できないことはやらない」

「できなさそうなことはしない」

「できないことがバレそうになってきたら、興味がない、おもしろくない」

などと言うようになってしまうのです。

何かができるようになるためには必ず通らなくてはいけない継続ができなくなり、

何かをできる自分に気づくための機会に出会うことが減り、

自己効力感、自分はやったらできるという感覚を身につけるための努力をしなくなってしまうのですね。

自分のマインドセットは「できるかできないか」型なのか、

それとも、「できるまでやったらいいし、できるようになるもの」型なのか。

これって大きいのです。

「レッテル」はお守りにもなるし、呪いにもなります。

「よくできたね」は賞賛にもなるし、「君にできるとは思っていなかったよ」という中傷にもなります。

簡単なことをやらせるのは「自分はできないわけじゃない」と気づかせるきっかけにもなるし、「君はそれくらいのレベルの子だ」と伝える合図にもなります。

見せている背中や言葉がけ、ちょっとした仕草。

いいメッセージを発している環境にいたいですね。

海辺のイケメン

こんにちは。

新留です。

先週末のこと。

その日は朝からとても天気がよく、気温も20度前後と最高の散歩日和。

これは海でも見に行くしかないと、大阪北港マリーナに行ってきました。

目の前はヨットハーバーという最高の景色である「ヘミングウェイ大阪」に少しランチの時間をずらした2時に到着。

のんびり休日のランチを楽しむことにしました。

あらかじめネットで検索し目星をつけていた「牛ランプステーキ300g」のランチセットを頼み、最近ではあまり見かけることのないドリンク「スプライト」に心躍らせ、空いている席を探し、ボーっと目の前の海を眺めながら、料理ができた時に呼び出される用のブザーが鳴るのを待ちます。

手渡されたブザーの番号は11番。

オーダーをする時、お客さんの並んでいる数の割にキッチンが小さく、スタッフさんも少ないのが見えていたので、少し待つかもしれないな〜と思いながら待っていたのですが、なかなかブザーは鳴りません。

(けっこう時間がかかっているな……)

と思いつつ、まわりを見渡していると、たくさんのカップルや家族づれ、

「職業クリエイティブ系です」というようなスタイリッシュな格好をした人たちばかりで飲み会をしている団体(パリピ集団と命名)、

プールサイドでなぜか彼女の足をずっとマッサージしている筋肉隆々な男性(てもみんと命名)、

「天才」スラムダンクの桜木のセリフが書かれた派手な赤いTシャツを着ているのになぜか持ってきているのがサッカーボールという中学生ぐらいの子とその家族とお友達など、個性豊かなお客さんが。

勝手にそこにいたお客さんの背景やストーリーを想像し、ご飯ができるまでの時間をつぶしていました。

ですが、なかなかブザーは鳴りません。

天気は良いのですが、少し風が冷たかったので屋内に入り、ソファー席でぐでっとしていると、

となりのソファー席には、東大医学部在学中に司法試験に一発合格したり、英検や数検1級を取得したり、「頭脳王」で優勝したりなどで有名な河野玄斗さんそっくりのイケメンと、その彼女らしき女性が。

その河野玄斗似のイケメンはくるぶしを出したズボンを履いており、「イケメンだけに許されるズボン……」と思って眺めていると、何やら、ソワソワしています。

くるぶしが出ていて寒いわけではなく、どうやら、料理が全然出されず、イライラしているよう。

見ると、ブザーには「6」という数字が書かれています。

「6」なのにまだ待っているんだ……?

「11」ってどうなるの……? ディナー……? 

と一抹の不安がよぎったのですが、特にその後の予定を決めているわけではなかったので、のんびりとまわりを眺めながら、過ごしていました。

その間にも、となりのくるぶしイケメンはイライラ、そわそわ……ついには、キッチンにまでどうなっているのか聞きに行ったようでした。

あの、機嫌が悪いひとが近くにいる時の独特の緊張感のある空気、わかりますでしょうか。左数メートル先に、あの空気が満々に漂っていました。

話も盛り上がっているような感じがありません。

それから数十分待ち、ようやく、となりのカップルのブザーが鳴り、男性が急いで食べ物を取りに行ったのですが、急いで食べ、風のように去って行きました。

待っている間も、食べている間も、彼女はあまり楽しそうではありませんでした。

目の前にはきれいな海。

少し風は冷たいけど、最高の天気というシチュエーションなのに……。

余裕がないばかりに、目の前にあるすばらしいものに気づけなくなっていたのですね。

これって、僕らの普段の生活や仕事でもあることだなと思いました。

ひょっとしたら、くるぶしイケメン君は、その後に、何か大事な用事が詰まっていたのかもしれません。

その後に勝負ディナーを仕込み、ここでの食事はあくまで余興、軽く済ませる予定でお腹を満タンにしていてはいけない計算だったのかもしれません。

くるぶしから冷たい風が入りこみ、風邪を引きそうでしんどかったのかもしれません。

でも、目の前にはきれいな景色やすばらしい環境があり、となりには(おそらく)大事な彼女がいるのに、目の前の料理が出てこないということにイライラしていて、その大事な時間、大事な人との時間を楽しめていないようでした。

何より、いっしょにいる相手が全然楽しそうではありませんでした。

ひょっとしたら、そんな機会は、滅多にあるものではないかもしれないし、ひょっとしたら、一生ないかもしれない時間なのかもしれないのに、その大切な時間を味わえていませんでした。

ただ、料理が出て来ないというだけなのに。

ひょっとしたら、彼は2日間何も食べておらず、空腹すぎたのかもしれませんが……。

まあ僕も空腹のなか料理が出てくるまで1時間待ちましたが……ええ……。

良いところがあまり見えなくなっていたり、悪いところばかりが目につくとき。

それは余裕がなくなっているときなのかもしれません。

僕らの仕事でも、授業中に進めたいカリキュラムや教えたいことはありますが、やらなくちゃいけないことだけにとらわれて余裕がないと、

子どもたちの中からふっと出てきた大事な好奇心や疑問、おもしろい質問を見逃したり、せっかくの学びの機会を逃してしまうかもしれないな。

きちんと余裕をつくって、目の前にある素敵なものに気づけるように生活をしていきたいなと思った出来事でした。

余裕や空白って埋めたくなるものですが、それらって、実はいちばん豊かなものなのかもしれませんね。

(目の前には海とバブリーなプール)